こんにちは、Tatsu04a(@tatsu04a)です。
2020年4月1日より、インドネシアで現地採用(非正規雇用)として働いています。
地方国立の理系大学院を修了し、大手企業に勤めていたのですが、わずか1年で退職しました。
大手企業を辞めてまで、なんでインドネシアに来たの?
現地採用という将来が不安定な働き方について、今後はどうするか考えてるの?
僕という人間を知ってもらうために、コチラのプロフィールに過去の経歴を綴っていきます。
ダメ人間なのがバレバレなのですが、自分の人生を振り返るきっかけにもしたいので、全てオープンにします。
目次
逃げてばかりの人生
僕はこれまで、逃げてばかりの人生でした。
・高校時代、部活を2回辞めた
・大学受験の勉強に真面目に取り組めなかったが、運よく推薦入試で大学入学した
・大学生の時に始めたアルバイト2つ(コンビニ・時計屋さん)を数週間で辞めた
・新卒入社した大手企業を1年で退職した
嫌なことからの逃げ癖が身についてしまい、どうしようもない人間だと自覚しています。
僕がまともに物事を続けられたのは、中学生まででした。中学の3年間は陸上部に所属し、夏の大会まで一生懸命練習し、引退後は高校の受験勉強に集中して取り組んでいました。その甲斐あって、地元の進学高にギリギリ合格することができました。僕の成功体験は、この時点が最後ですね。
高校時代、部活を2回辞めた
高校時代は一度バドミントン部に入部するも、1ヶ月ほどすると「やっぱり大好きな陸上を続けたい」と思うようになり、退部しました。すぐに陸上部に入部するのですが、友達が1人もできませんでした。背伸びして入学した進学高では、日々の授業についていくことができず、いわゆる落ちこぼれ。
部活に行っても誰とも話すことなく、孤独に練習に打ち込むだけ。部活終わりにカラオケ行ったり、駅の方に遊びに行ったりしてたようですが、ぼっちの僕には声がかかることはなかったです。自分から声をかける勇気もなかったですね。ぼっちであることの究極のつらさは、部活の練習中ではなく、部活終わりの更衣室でワイワイする雑談の時間でした。周りのみんながワイワイするのを陰でひっそり聞いて、面白かったら微笑むだけ。速攻で着替えて帰宅すると変な目で見られそうだったので、なんとなくみんなが出る頃に合わせました。
そんな状態が半年ほど続き、精神的に限界を迎えました。部活で使うユニフォームやスパイクなどを両親から買ってもらっていたのですが、「高校の授業についていけないから辞めたい」と相談しました。本当はぼっちで辛いから辞めたいだけだったのですが、そんなこと恥ずかしくて言えず・・・結局、申し訳なさを感じつつ、辞めました。
大学受験の勉強に真面目に取り組めなかったが、運よく推薦入試で大学入学した
部活を辞めたのが高校1年の10月、高校の授業は16時ごろには終わるので、勉強の時間はたっぷりありました。部活を辞めた直後は、授業の予習・復習にめちゃくちゃ力を入れ、定期テストのクラス順位も急上昇、英語の先生も「最近頑張ってるね」と声をかけてくれました。めちゃくちゃ嬉しくて、部活を辞めたからには勉強をがんばろう!と決意していました。
しかし、ココで「定期テスト」はムダと言いまくる友達に振り回されました。「定期テストで上位でも受験では意味ない」「模試の結果こそ全て」「授業を真面目に聞くだけ無駄」と持論を振りかざし(受験という面から考えると、必ずしも間違ってるとは言いませんが)、まんまと感化されました。それから急に課題を提出しなくなり、定期テストの勉強もしなくなり、授業中に内職をするようになりました。
それで模試の成績に反映されるなら救いようがあるんですが、結果は振るわず。ただ不真面目になっただけの勉強ができないやつになりました。結局、頭がいい人は定期テストだろうが、模試だろうが、良い点数を取ってくるんですよね。そこから、2chの受験サイトで参考書情報ばかり読み漁り、有意義な情報が得られたと自分を正当化して、勉強はしないという最悪の状態に陥ってしまいました。
結局、受験期になっても勉強に力を入れられず、成績はますます急降下。気がついたらどこにも入学できないレベルまで落ちていました。しかし、見かねた当時の担任の先生が「地方国立の推薦枠があるけど利用したいか」と声をかけてくれました。これがあったからこそ、運よく大学入学できました。推薦がなければ確実に浪人生活でしたし、当時の僕が浪人でちゃんと勉強するとも思えないので、本当に感謝しかありません。
大学生の時に始めたアルバイト2つ(コンビニ・時計屋さん)を数週間で辞めた
高校時代の部活と受験から逃げてきた僕は、大学生の時にアルバイトからも逃げました。逃げ癖は一度つくと、簡単には改善できません。僕は大学時代、できる限りゴロゴロしようと考えていて、無駄すぎる大学生活を送っていました。
ダラダラ夜更かしする(2chまとめ・チャットなど) → 昼に起床→ 起床時から1日を無駄にした後悔でいっぱい → 何も手につかずボーッとする → 昼まで寝てたので寝る眠くならない→ ダラダラ夜更かしする → ・・・
友達と思いっきり遊んだり、アルバイトをめちゃくちゃ入れて稼ぎまくったり、長期旅行に行ったり、勉強に打ち込んでみたりと、目的意識を持って何らかの行動をすればと後悔しています。こんな日々から抜け出すために、一度目はコンビニ、二度目は時計屋さんでアルバイトをしたのですが、いずれも続かず数週間で辞めました。
ただ、当時は自己正当化だけは一丁前にしていて、学生の本分は勉強だからアルバイトは無理にする必要はないと自分に言い聞かせてました。それで勉強すれば良いんですけど、結局しませんでした。
新卒入社した大手企業を1年で退職した
逃げまくりの人生でしたが、2018年の就活時はかなりの売り手市場だったこともあり、僕みたいな人間が運よく大手企業から採用されました。正直、なんで採用されたかわからないのですが、とにかく運が良かったんだと思います。僕の両親も大変喜んでくれました。
これまで両親には心配しかかけてこなかったので、せっかく入社できた大手企業では全力で働こうと決意しました。入社して数ヶ月はやる気に満ちていて、会社が推奨している資格取得に挑戦して合格したり、残業も積極的にしたりしていました。飲み会も頻度が多かったのですが、参加するようにしていました。
ただ、長時間労働と内心は参加したくないと思っていた飲み会がきっかけで、徐々に精神的にしんどくなっていきました。そして2019年11月25日(月)、いつものように会社に行く準備をして、家を出るだけなのですが、なぜか体が動きません。会社に行く足が重すぎて、心臓がバクバクしてました。これはまずいと思い、直属の上司に体調不良と伝え、そのまま心療内科に駆け込みました。医者からはうつの症状で診断書が出せると言われたのですが、受け取ると診断書に甘えてしまいそうな気がして断りました。2週間後くらいにまた来てくださいと言われたのですが、勝手な自己判断で通うのを辞めました。結局、精神的にしんどい日々が退職まで続くことになります。
退職するきっかけは転職活動が成功したことです。2019年の年末、ジャカルタに観光で訪れてから、インドネシアで働きたいと思うようになりました。そして帰国後、インドネシア現地採用としての仕事を探し、skype面接を通して2-3週間ほどで内定をいただきました。両親には内定をいただいた後に相談し、猛反対されました。「心療内科に通ってることは知ってるし、転職することは否定しないが、なんでいきなりインドネシアなんだ」「しかも現地採用という不安定な雇用でいいのか」「せっかく大手企業に入社できたのに、それを辞めると将来後悔する日が来るぞ」と色々言われました。両親の意見は正論であり、現地採用として働いている今でも納得できます。当時は日本のストレス社会から逃れたくて、まったりしている南国に行けばストレス社会から解放されると、夢みたいなことを考えていました。仕事なので大変なのは変わりません。
結局、僕が折れなかったので、両親は半ば諦めのような気持ちで同意してくれました。大学院まで行かせてもらったのに、わずか1年で辞めてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。まだ恩返しもできていません。高校・大学・社会人と逃げ続けている人生です。
人の輪に入れない性格
僕は人の輪に入るのが苦手で、一対一ならまだ話せることもあるのですが、複数人になると喋れなくなるタイプです。
周りの目が人一倍気になる性格なので、一人ぼっちには見られたくない・・・学生時代はそんな悩みに苦しんでました。
・クラスで2人組を作る流れになったら冷や汗をかき、周りをキョロキョロ見回して、ぼっちを回避すべく仲良くない人でも話しかける。事前に2人組を作ることがわかっているなら、休み時間に「一緒に組もう」と根回しをする。
・友達三人で歩いてるといつの間にか2対1に分かれて、1人になった僕が2人楽しそうに話してるのを後ろからついていく。
・10人くらいの団体では何も喋れなくなり、見かねたのか心優しい人がたまに話題を振ってくれるも、面白い返答ができず苦笑い。
こんな性格だったので、自分にとにかく自信がなく、一人で過ごす時間が長かったです。
社会人になった今、人と接するのはビジネスとしてが多いので、お互い相手に気を遣って話すので気が楽です。
特定の話題(ビジネスなら仕事など)がある時はある程度話せるのですが、フリートーク的な場面には弱いですね。友達と話すときって「今日は○○をテーマに話し合おう」って言わないじゃないですか。脱線しまくり、雑談しまくりで、何でも気軽に話しまくる。これが僕は複数人になるとできなくなります。

今はインドネシアの中小企業で、現地採用という非正規雇用で働いています。不安定な雇用環境ですが、接待の飲み会の頻度はほぼなくなり、休日の社内クラブ活動(前職は半強制)もないので、すごく気が楽です。
未経験業種かつ慣れない言語に苦戦しまくりですが、目の前の仕事に集中できる環境が整っているのはいい点だと感じています。
これからの人生
インドネシアで現地採用(非正規雇用)で働いているので、自分から逃げなくても働き続けられる保証はありません。未経験業種・職種で働いており、語学力もほぼ0の状態からのスタートなので、かなり大変です。日本でイメージしてたスローライフではなく、ストレスを感じながら働く日々です。
僕自身の能力の低さの問題もあって、上司には叱られながら教えていただいている状態です。かなり言い方が厳しい方ですが、全くのど素人である僕を雇ってくれたことには感謝しかありません。一般的に現地採用は給料が低いと言われてるのですが、日本人というだけで現地インドネシア人の何倍もの給料を貰っていることに申し訳なさを感じまくりです。早く仕事を覚えて給料分の貢献をしないといけません。最近はその焦りに対して能力が足りていないことにストレスを感じていますね。
今の会社を辞めずに働き続けられるか、自身がありません。また逃げてしまうかもしれません。最近は「なんでインドネシアに来たんだろう」「前の会社を辞めなくても本当は頑張れたんじゃないか」「日本の生活の方が自分には合ってるんじゃないか」など、今にも逃げてしまいそうなことを考えてしまいがちです。
辞めたところで今後どうやって生きていくのかも決まってないですし、真っ当な社会のレールに乗れるとも思っていません。インドネシアでの仕事はもう少し頑張ってみようと思います。最初の頃は仕事に対する知識がないので、辛いのは当たり前かなと考えています。慣れてくれば仕事の楽しさがわかるかもしれません。
今は将来のことを考えすぎず、目の前の仕事や語学の勉強などに打ち込んでみます。インドネシアに来て歯列矯正を始めたのですが、治療は2年〜3年ほどかかる予定なので、まずは歯列矯正が終わるまで頑張る予定です。2年〜3年経つと、仕事の楽しさに気づいてるかもしれませんね。
精神的な弱さを克服する
僕の経歴をご覧いただいてわかるように、精神的に弱すぎますね。小学生の時から「誰かに怒られる」ことが人一倍苦手で、矛先が自分に向かないように、目立った行動は極力しないようにしていました。
積極性をなくした僕は、人から言われたことだけはしっかりこなすという、いわば機械のような人間です。人から言われたことをこなせれば、怒られることはないので、そうしているだけです。積極的にチャレンジしたり、意見を提案したりして、否定されるのが嫌だったんですね。
こんな感じで小学生から生きているので、周りの目線に怯えまくる日々でした。他人の会話に自分の名前が出てきたら「悪口を言われてるんじゃないか」と気になりまくって、何も集中できません。
この性格から「自分の意見を一切言わず、なんとなく周りの意見に合わせるだけなので、面白くないやつ」と思われてたはず。実際に、僕はこれまでの人生で、友達がかなり少なかったです。幸運なことに、どんな悩みでも相談できる友達が一人だけいますね。
人生は一回しかないのに、周りの目を気にしてばかりで良いのか?本当はもっとやりたいことがあるけど、周りの目が気になって、我慢してるだけじゃないのか?
社会人一年目の時に、自分の人生・生き方について考え、インドネシアで現地採用(非正規雇用)として働く道を選びました。もともと東南アジアで働きたいと思っていて、東南アジアには旅行で複数回訪れていたので、僕にとって憧れの場所でもありました。
ある意味で目標が叶ったわけですが、未経験業種、語学力0の状態からスタートしたので、ストレスを感じながら働く日々です。後悔はしていませんが、かなり大変ですね。今後はインドネシアで頑張りたいと思っていますが、どうなるかはわかりません。仮にインドネシアを撤退することになっても、自己責任の上で自分で選んだ道です。僕にとっては自分の意思で選択した初めての出来事ですので、後悔することなく納得できます。今こうしてインドネシアで働いていることに、ある程度の充実感もありますね。
これまでの僕を考えると、インドネシア現地採用という選択肢は絶対出てこなかったので、かなり変わったなと思います。
本ブログの運営について
さて、僕という人間性を見ていただいた上で、本ブログでは以下のような内容を取り扱っています。
・旅行
・脱毛
・メンタル
・資格試験
・歯列矯正
・ブラック企業
・インドネシア生活
・現地採用の給料・待遇・仕事
雑記ブログなので、内容は多岐にわたります。気が向いた時に、書きたい記事を書きたいように書いています。
最近では、インドネシア生活や現地採用の給料・待遇・仕事に関する記事が多めです。これからインドネシア生活を始める方向けに、参考になる記事がかけていれば嬉しいです。
本ブログの運営状況(PV・収益)
参考までに、ブログ開設時から現在までのブログ運営状況(PV・収益)について、紹介していきます。
2020年4月・5月はかなり伸びていて、このまま行くと月3万PVを突破できそう!と言うところまで来ていたのですが、5月のアップデート以降、急激にアクセスが減少しました。月1万PVを下回る月が多いですね。最近のブログ運営方針として、無理せず楽しめる範囲で取り組むことにしました。
将来的な目標として、安定して月3万円をブログで稼ぎたいなと夢見ています。というのも、国民年金(任意継続)17,000円/月、奨学金13,000円/月をインドネシアでの給料からではなく、ブログ収入から支払いたいと考えています。現地採用の給料は多くない(約月16万円)ので、副収入があると心が安定しそうです。
お金を稼ぐことばかり意識して記事を書くのは難しいので、これからも書きたい内容を書いていくのを基本方針にしていくと思います。