僕は高校生のとき、2回部活を辞めています。
1回目はバドミントン部、2回目は陸上部です。
僕が高校で部活を辞めることになった経緯と、今部活で悩んでいる高校生に向けて記事を書きます。
少し重たい内容かもしれません。
目次
はじめに
僕は中学時代は陸上部に所属し、3年間先生とメンバーに恵まれ、とても充実した部活生活を送っていました。
そのため、高校に入っても当然、陸上を続けようと考えていました。
中学3年の8月に最後の大会を終え、高校受験に向けて勉強し始めます。
僕の志望校は偏差値が60ちょっとの、いわゆる地域にある進学校という位置づけの県立高校です。
当時の僕の学力からいくと、かなりギリギリでした。
それでも一生懸命勉強、なんとか合格を勝ち取ったのです・・・が、
僕の通ってた高校は「普通科」と「理数科」があります。
受験時に僕は第一希望を「普通科」、第二希望を「理数科」にしていました。
「普通科」に落ちた人の中から、上位の者は「理数科」に合格するというパターンが毎年存在し、僕は本当にギリギリのところで合格しました。
しかし、僕は「数学」も「理科」も苦手でした。
すべり止めで合格してた私立高校(進学コース)に行くか、すごく悩みました。
しかし、中学で一緒に部活を頑張った友達が合格してたこと、せっかくもらった合格だから頑張っていこうと思ったことで、進学することに決めました。
今思えば、もっとここでしっかり悩んでおけばよかったと思いました。
部活動選び
当時の僕はすごく周りに流されていて、周りからの評価なども過剰に気にする性格でした。
僕の一番仲が良かった友達はバドミントン部に行くようで、もう陸上続けるのは辞めようかなと言ってました。
僕たちは一緒にバドミントン部、陸上部の見学をしました。
進学した高校の陸上部はかなりガチなところで、上下関係が超厳しいところでした。
それにビビったのもあって、結局バドミントン部に入部しました。
バドミントン部に入部するも、やっぱり陸上をやりたい思いが出てきた
最初はバドミントン部で頑張っていたのですが、入って1か月で
「やっぱり陸上続けたい」
という想いが強くなりました。
けっこう悩んだのですが、親にも相談して陸上部に入ることにしたのです。
この選択、僕が人生で一番後悔しているといっても過言ではありません。
特定の人(M)に人生狂わされたなと思ってます。
友達がいない陸上部に入った
友達が誰もいない状況で、かつ上下関係やルールに厳しい陸上部に入りました。
かなり体育会系でしんどかったですが、走ることは楽しかったです。
実はこの陸上部には中学で同じ部活メンバーだったMがいます。
昔はよく一緒に遊んでいたのですが、なぜか僕に対する態度は徐々に悪くなっていきました。
おまけに同じマンションに住んでいて、高校入試のときに自転車にイタズラしたのもMじゃないかと思ってます。
僕が部活に入って、友達がいないのをいいことに悪口とか中学での話してほしくない出来事をペラペラと言いふらしていきました。
おまけに、部活で連絡をとれる人がMしかいなかったので、急な練習場所の変更のときにはMに聞くしかありませんでした。
ある日、どうしても聞かないといけない状況になったときに、メールしてみると
「すみません!誰でしたっけ?」と顔文字絵文字いっぱいのメールがきて、
僕が「同じ部活だったTatsuです!」と返信すると、
「りょ」とだけ素っ気ない返信が来ました。
僕はこのとき、気づきました。
「ああ、部活内で友達もいない寂しいやつには冷たい対応をして、いわゆる陽キャとだけつるみたいんだな」
こういう出来事が部活を辞める10月中旬まで続きます。
中学のとき一緒に頑張ってたメンバーには見放され、高校の部活では友達もできずに誰とも話さず練習するだけ。
それはもうみじめで、悔しくて、部活に行くのが毎日苦痛でした。
そんな状況の中、僕によく話しかけてくれた1個上の先輩がいた
この先輩は家庭の事情もあり、普段は部活になかなか来れませんでした。
しかし、来れる日には積極的に参加していて、僕の置かれている状況を知ったのでしょう。
積極的に話しかけてくれました。
悩んでることはないか、陸上のどういうところが好きか、高校には慣れたか、など色々な話を聞いてくれました。
この先輩がいたからこそ、僕は10月中旬まで耐えられたのだと思います。
しかし、それと同時にMの僕に対する露骨な冷たさは続きます。
カラオケ行こう!とかボウリング行こう!とかもちろん僕は誘われません。
それはもう慣れていたのですが、ある日部活の荷物を車に積み込みを僕とM含め5人でやっていました。
そのとき、今日はボウリングに行こう!とMから提案があり、部活終了後他の片付けをしているメンバーも集めて、13時に自転車置き場に集合しようという話になりました。
そのとき、Mは一人ずつ出席の確認をしていたのですが、僕だけ露骨に省きます。
このとき、僕の中で何かが吹っ切れました。
親と顧問に部活を辞めることを伝える
まずは親に部活を辞めることを言いました。
僕は自分の置かれている状況を話していませんでした。
なので、部活を辞めるときは勉強について行けてないと言いました。
親からしても、僕はギリギリで入学したことを知っていたし、成績も下から数えたほうが早かったので、しぶしぶといった感じで辞めることを了承しました。
本当は自分の置かれている状況を知ってほしかったし、辛い思いをぶちまけたかったけど、恥ずかしくて言えませんでした。
ただ、その環境下から逃げ出したい思いだけでした。
そして、顧問にも言いに行きました。
実は辞める一か月ほど前、孤独で悩んでることは伝えていましたが、結局解決する努力をするためのエネルギーは残っていませんでした。
辞めるのはかなり止められたし、根性がない!と叱られましたが、僕の意思は強く辞めることができました。
部活を辞めた後のクラスでの過ごし方
陸上部に所属しているメンバーは同じクラスに3、4人(Mは同じ理数科だが、クラスが別だった)ほどいました。
すごく気まずかったですが、幸いなことに僕はクラスで何人か友達がいました。
彼らと一緒に過ごしたり、昼ご飯を一緒に食べたりすることで、気まずさから比較的逃げることができました。
そして僕が部活を辞めたことについて、何も聞いてきませんでした。
いい友達に恵まれたなと思います。
今思えば、この友達に悩みを相談すればよかったのかもしれません。
くだらないプライド(友達がいない自分という存在を認めたくない)が邪魔をして、相談することさえできませんでした。
部活を2回も辞めて、将来に支障はあったか?
今のところ、特に問題なく来れました。
就活の面接でも高校時代の部活の話はありませんでした。
高校時代の貴重な時間を無駄にしたのと、特定の人物による嫌がらせで自分に自信がなくなり、その後の性格に影響はあったかもしれません。
しかし、大学時代になんとか復活し、大学院まで修了することができました。
今は新入社員として、なんとか頑張っています。
もし今、部活動で苦しんでるなら、その環境から逃げ出してもいいんじゃないかなと思います。
無理やり続けてもメンタルは蝕まれていき、自分に自信がなくなっていきます。
今はどうかわかりませんが、当時部活を辞めるというのはあまり聞かないことで、部活を辞める人は根性がなく、その後の人生で踏ん張るときに踏ん張れない=逃げ癖がつくと言われてました。
これは実際に部活を辞める際、顧問から言われた言葉です。
言い分はわかりますが、自分のメンタルがやられてしまっては意味がありません。
僕はもっと早く辞めればよかったと思ってます。
このときのストレスと部活を辞めた後に新たに発生したストレスが原因で、後々逆流性食道炎で数年苦しむことになるのですが、それについてまた書こうと思います。